様々なジャンルの短編が収録されていますが、性欲や食欲、集団欲など、「欲」がテーマになっている共通点があると感じたので、心理学の理論(※)と絡めて紹介していきます。
※心理学的には人間の欲求は5段階の階層構造をとっており、下位の欲求が満たされて初めて、次の欲求を満たそうとする、とされています(マズローの自己実現理論)。
作品紹介
イガヌの雨
5段階の欲求の最下層、生理的欲求のひとつである「食欲」がテーマです。生理的欲求は、満たされないと生命を維持できない、最も基本的かつ動物的な欲求ですが、ほとんどの人はこの段階は満たされており、次(第2段階:安全の欲求)のレベルの欲求が出現します。
この短編に登場する「イガヌ」はタダ同然に手に入る上、生のまま食べられて栄養も豊富というスーパー食材です。それだけなら良かったのかもしれませんが、中毒性があるレベルで美味しいばかりに、他の人間的な活動がないがしろにされていく、という社会の変化が描かれています。「世にも奇妙な物語」とかでありそう。こういうテイスト大好きです。
余談ですが、ローマ字表記のイガヌを逆から読むと「UNAGI」になることを発見して興奮したのもつかの間、対談記事で本人の口から明かされてました。一番下にURLを載せておきます。
Undress
第3段階の欲求(社会的欲求:集団に所属したい)を就職で満たし、さらに出世を通して第4段階の欲求(承認欲求:集団内で高く評価されたい)も実現した主人公が、さらに5段階の欲求の最上位「自己実現の欲求」を目指して脱サラをする話です。
会社勤めをしたことのない芸能人には脱サラのイメージが沸かないのでは?とも思いましたが、考えてみたら事務所から独立するタレントも同じかもしれませんね。
ぼく自身もサラリーマンなので、所属している組織の信用が、自分自身の能力であるかのように勘違いしないように気を付けようと思いました。独立するにせよ転職するにせよ、組織を飛び出した後でも通用する能力を身につけたいものです。
おれさまのいうとおり
34歳フリーターの主人公A(第2段階:安全の欲求は満たされている)が、20年前の自分(Bとします)によりよい人生を送るためのアドバイスをするタイムリープものです。
アドバイスを実行したBは順調な人生を送り、34歳になった時には文句なしに第4段階(承認欲求)が満たされた状態。Bはお礼をするため20年後の未来へタイムリープしてAと再会しますが、54歳のAはさらに生活レベルが下がり、第2段階の欲求も満たされていない様子。異なる欲求レベルにいるふたりに何が起こるのか、という話です。(ヒント…衣食足りて礼節を知る)
これはハードカバーの単行本には載っておらず、どうやら文庫本にしか収録されていないようなのですが、読切として掲載された雑誌を妻が持っていました。さすがオタクのコレクションはんぱない。
インターセプト
この作品では、第4段階「承認欲求」を恋愛で満たそうとする男女が描かれています。男性は同性からの尊敬(高嶺の花を攻略することで注目され、すごいと思われたい)を求めているのに対して、女性は恋愛対象そのものから尊重されることを求めているという対比がいいですね。
ちなみに、タイトルの「インターセプト」はアメフト用語で、相手チームのパスをキャッチすることで攻守が入れ替わることを意味します。この短編も途中で視点が切り替わりますが、ラストもちょっとホラーテイストで面白い。
恋愛小説(仮)
この作品も「インターセプト」同様恋愛がテーマですが、どのあたりが”(仮)”かというと、恋愛対象である初恋の相手が男性からみた妄想である点だと思います。そもそも初恋がほとんどの人にとって大切な思い出として位置付けられるのは、それが手に入らなかったからではないでしょうか。もしかしたら「逃がした魚」が現実より大きく感じられているだけかも。
染色
こちらは「インターセプト」や「恋愛小説(仮)」とは異なり、恋愛以外の承認欲求が描かれています。共同で作品を作り上げていた二人ですが、承認欲求の満たされ具合が違います。
冒頭では優等生だった主人公の文登は、他者からの承認が得られるかどうかの瀬戸際(あやうく留年)でしたが、美優は自身からの承認(学校で学ぶことはもうない、自分は画家になれる)によって承認欲求が満たされていました。そのため、「自己実現の欲求」を求める美優は美大を辞めてロンドンで画家になることを目指しますが、文登は「一緒に行く」と即答できなかったのだと考えられます。
なお、この短編は6月公開予定の舞台「染、色」の原作にあたります。ぼくは文登に対して「性欲が強い」以外の感想を抱かなかったのですが、どんな脚本になるのやら。特に性欲を我慢できなくてトイレに入るところは笑ってしまいました。さすがの多目的トイレも、そういう行為を目的とした利用は想定外。しかし一応性欲も、トイレ本来の目的である排泄も、生理的欲求に分類されてはいます。
にべもなく、よるべもなく
5段階の欲求のうち、第1(生理的欲求)や第2(安全の欲求)の内容はある程度似通っていますが、より上位の欲求の方向性は人それぞれ違います。第3段階(社会的欲求:どの集団に所属するか)、第4段階(承認欲求:誰からどのように評価されたいか)、第5段階(自己実現:どんな自分になりたいか)など。
この作品では登場人物の様々な価値観と、それに対する主人公の戸惑いが描かれています。同年代だけでなく、自己実現のために上京した年上も描かれているのがいいですね。
この投稿のINPUT
傘をもたない蟻たちは/加藤シゲアキ
(ISBN978-4-04-102833-9)
刊行記念特別対談 加藤シゲアキ×朝井リョウ
( https://promo.kadokawa.co.jp/kasaari/talk.php?link_id=splink002 )
以上です。読んでくれてありがとうございました。
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