エッセイを読んだことがきっかけで、妻の加藤シゲアキコレクションを一気読みした感想を書きます。まずは渋谷サーガ三部作について。
※露骨なネタバレは避けているつもりです
ピンクとグレー
小学校からの幼馴染み(ごっちとりばちゃん)がそれぞれ芸能界に進むストーリー。りばちゃんの視点で進みます。
出発点は同じなのに、ごっちはスター、りばちゃんは売れないまま。しかしごっちのお膳立てで注目を浴びることになり、同じ立ち位置に立ったりばちゃんは、ごっちが感じていたものを追体験していきます。
デビュー前
高校に進学した二人は、文化祭でバンド演奏を披露することになります。尾崎豊が同い年の時に発表した曲を「本物の才能」と評価し、自分たちのオリジナル曲と比較されることを嫌がるごっちに対して、りばちゃんは乗り気です。ごっちにギターを教えたのもりばちゃんだし、この頃はむしろりばちゃんの方が積極的。
その後、読者モデルとしての活動が縁で、大学在学中に芸能事務所に所属します。ここまでは主に外見を評価された結果にすぎず、二人の関係は対等です。変化が出てくるのは、映画やドラマのエキストラとしてデビューしてからです。
デビュー後
二人の待遇が変わってくるのは、あるドラマのエキストラでのごっちのアドリブが評価されてから。その後どんどん売れていくごっちは、りばちゃんと共演したくて彼に仕事を回しますが、りばちゃんはバーター(抱き合わせ)扱いに納得がいかず、仕事を断り続けます。結果、大学を卒業してもりばちゃんは芸能事務所所属のフリーターのままですが、ごっちはスターになっていきます。
やがて、同窓会で再会した二人。その直後ごっちは芸能界から消えますが、それと引き換えにりばちゃんが注目され、時の人になっていく過程でごっちを理解することができます。それは、(自力で有名になることはできなかったにせよ)ごっちと対等であり続けようとしたりばちゃんにしか務まらない役割だったのかもしれません。
なお、この作品は映画化されており、結末が少し異なっています。小説版もループものみたいな結末で悪くはないのですが、ぼくは映画版のほうが好きです。最後のセリフが、ごっちとりばちゃんの初対面の時のセリフになっているし。
その他の考察
①ごっちの芸名「白木蓮吾」の蓮は、蓮ではなく木蓮(マグノリア)からとっています。花の形が蓮に似ていることから木蓮の名が付いたと言われますが、花言葉(「自然への愛」「持続性」「崇高」「威厳」など)よりもむしろ「蓮の花に似てるけど蓮じゃない」という点に、実力以上に評価される苦しさのようなものを感じます。
②この作品のキーワードとして「ファレノプシス(胡蝶蘭)」があります。花言葉は「変わらぬ愛」ですが、花の色によって微妙に違うそうです。
ピンク:あなたを愛します
白:清純
「ピンクとグレー」というタイトルとあわせて考えると、白(清純)だったものが芸能界で色々なものに染まってグレーになってしまった的な意味なのかな?とちょっと思いました。映画だと「〇っぱいがいっぱいだー!」とか言ってたし…。
③ごっちが作詞した「ファレノプシス」には、「27年と139日後」という言葉が出てきますが、これは最終章のタイトルにも「27歳と139日後」として出てきます。何か意味があるのかと思って色々考えてみましたが結局、説得力のある答えは見つかりませんでした。そもそも、ごっちのかっこいいセリフの元ネタが実は姉や元カノからの強い影響であることを考えると、実は大した意味はないのかもしれず、たかだか当時17歳が作った歌詞を神聖視して、深読みしたがるファンの姿勢を皮肉っているだけなのかな?とも思えます。
ちなみに。
・ごっちが「芸能界から消えた日」は、1月に行われた同窓会の翌日です。この同窓会の案内は、「ごっちが25歳になった年の秋」に届いたものなので、誕生日が8/4であることを考えると、同窓会の時点でも25歳だったことになり、「27歳と139日後」には当てはまりません。
・りばちゃん(誕生日は6月半ば)がごっち役として映画に出演することが決まったのは同窓会のほぼ一年後の1月で、このとき26歳。実際の撮影期間は「ごっちの20年あまりを1ヶ月で辿っている」という表現から、長くてもその倍、2か月もないでしょう。撮影前の打合せに数か月を要したとも記載がありますが、仮に打合せに半年近くかかっていたとしても合計8か月、せいぜい9月頃?
りばちゃんが「27歳と139日」を迎えるのは10月末~11月のはずなので、さすがにそれ以前に撮影最終日になっていそうな気がします。
・ミュージシャンは27歳で命を落とす(※)という都市伝説がありますが、27年と139日で死亡したミュージシャンはいないようです。
※興味のある人は「27クラブ」で検索してみてください。一例として、作中にも出てくるカート・コバーンは27年と44日です
閃光スクランブル
前作と比較すると、パパラッチと女性アイドル、SNSやストーカー、芸能人の不倫など、より芸能界の内側に踏み込んだ内容になっています。展開もスピード感あるしアクションシーンも多いので、今度はこれを映像化してほしいなあ。
パパラッチのわりにかっこいい主人公
パパラッチの語源はイタリアの方言「蚊」といいます。ゴシップを嗅ぎまわって撮った写真を売るという行動からも、主人公としてどうなん?というのが読む前の感想でしたが、とても魅力的なキャラクターでした。
それはきっと巧が、浮気や不倫を「倫理的に間違っているのだから報いを受けるべきで、それを暴く自分は悪くない」などと自分を正当化していない(むしろ罪悪感を抱いている)からだと思います。写真を撮るためにターゲットの前に自分の姿を晒すところも、ある意味正々堂々としていますね。
主力メンバーが卒業した後のアイドル
もう一人の主人公は、アイドルグループ「MORSE」に所属する伊藤亜希子(アッキー)です。彼女はメンバーの入れ替わりに伴って見失った自身の居場所を恋愛に求め、密会現場を写真に収めようとする巧に狙われることになります。ところが成り行きで、巧と二人で逃亡生活を送ることになります。
モデルがカメラマンに向ける表情がそのまま写真になることから、一流のカメラマンはコミュニケーション能力が高く、モデルと良い関係をつくる能力に長けていると聞いたことがあります。しかしゴシップカメラマンである巧に対して、プライベートを狙われていた側が好印象を持つというのは、普通に考えたらありえない。なのに信頼関係を築くことができた理由は、お互いの過去のつらい体験に共感したことに加えて、それぞれに必要な存在になれたからかもしれません。
自分に特別な才能などないと思っていた亜希子は、巧の撮った写真を通して意識していなかった魅力に気付き、「アッキー」として芸能活動を続ける覚悟を決めます。一方巧は、亜希子の撮影を通して過去の呪縛から解放され、カメラマンとして前に進むことができました。この関係はもしかしたら、前作で「評価されるほどの実力は自分にはない」と感じていたごっちが、りばちゃんに求めていた関係なのかもしれません。
おまけ:登場人物名と花言葉
名前に花が入った登場人物が多かったので、こじつけてみました。実際のキャラの性格とは食い違ってたり正反対なのもありますが、参考程度に。
・坂木→榊(さかき):「控えめな美点」「揺るがない」「神を尊ぶ」
※花言葉よりむしろ、花が咲く場所(葉っぱの裏に生えていることが多く、気づきにくい)がそれっぽいかも。実際に手を汚すわけではない、わるいおとな。
・小日向→向日葵(ひまわり):「あこがれ」 「私の目はあなただけを見つめる」「あなたは素晴らしい」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「いつわりの富」「にせ金貨」
※ギャラのピンハネしてる(本当の金額をごまかしてる)から「いつわりの富」ってことかな?
・柊彼方→柊(ひいらぎ):「先見の明」「先見」「歓迎」「用心」「剛直」
※ちなみに味方として再登場するときは別の名前になっていて、榎(えのき):「力を合わせる」「共存共栄」「協力」でした。これはうまい。
・照岡香緒里→ミント:「温厚」「情の温かさ」「美徳」
※名前に直接花の名前が入っているわけじゃないけど、初登場シーンでガムを噛んでいたので。
・尾久田雄一→蓮:「雄弁」「休養」「沈着」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」
※奥さんから「蓮のような人」と表現されていたので。しかしこのおっさん、ツイッターアカウントがミスターグイドって…新手のスタンド使いかな?
・水見由香→ミスミソウ:「自信」「信頼」「優雅」「高貴」「忍耐」「内緒」「悲痛」
・藤井マリエ→藤:「歓迎」「恋に酔う」「陶酔」
※「伊藤亜希子」にも藤の字は入っているけど、彼女は作中で蝶にたとえられているので省きました
・桜田まみ→桜:「優れた美人」「純潔」「精神美」「淡泊」
・米村佳代→稲:「神聖」
・勝浦百合→百合:「威厳」「純潔」「無垢」「純粋」
Burn.-バーン-
渋谷サーガ三部作で一番映像化しやすいのが閃光スクランブルだとしたら、これは逆に一番映像化が難しそうだと思いました。面白いんだけどR15指定くらいになりそう。
燃料としての魂
作中に出てくる「ウィッカーマン」は生贄を燃やすためのかごだし、「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」というバンドはジャケットに、仏教徒弾圧に抗議して焼身自殺した僧侶の写真を使用しています(かなり衝撃的な写真なので、感受性が強すぎる人は検索しないほうがいいです)。
主人公レイジに大きな影響を与えたホームレスの徳さんも「魂を燃やせよ」という言葉を残していますが、これは何もカート・コバーンの遺書「色褪せるよりも燃え尽きる(=burn out)ほうがいい」のような、過激な意味だとは限りません。例えば細く長く天寿を全うするような人生でも、周囲の人たちや子孫に何かを残せるのであれば、それは「魂を燃やした」と言えるのかも知れません。
変化する渋谷
1970年代から若者の街として有名だった渋谷は、1990年代にかけてストリート文化の発信地、いなかものの憧れでした。歩行者天国やセンター街にはギャルやギャル男がひしめき合っていたといいます(行ったことないけど)。それが今では、IT企業の進出によってビジネス街になりつつあるそうです。そもそもSNSやインターネットの普及した現在においては、「渋谷に足を運ばなければ得られない情報」というのは、今はもうないのかも知れません。
三部作での扱いも変化しています。ピングレや閃光スクランブルでは「憧れの場所、旅の目的地」だった渋谷は、本作では渋谷再開発浄化作戦を経て、「今はもう形を変えてしまった、かつてのルーツ」になってしまいました。そして渋谷と同様、芸能界の位置付けも変化しています。誰でも動画や情報を自由に発信できる現代では、芸能人と一般人との境界もあいまいです。
おそらくシゲアキ先生自身もその変化を感じているはずで、だからこそ現在連載中の「オルタネート」ではSNSを題材にしているのでしょう。…まだ読んでないので、どこがどう、とは言えませんけど。
この投稿のINPUT
ピンクとグレー
(ISBN978-4-04-110108-7)
閃光スクランブル
(ISBN978-4-04-110370-8)
Burn.-バーン-
(ISBN978-4-04-110729-4)
花言葉辞典
( http://www.hanakotoba.name/ )
以上です。読んでくれてありがとうございました。
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